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社員インタビュー(1) 入社4年目 芳賀竜弥

社員インタビュー(1)

ミュージシャンを志していた先に 入社4年目
芳賀竜弥

N.K

芳賀竜弥 地元中学を卒業後ミュージシャン、俳優を志し活動、その後上京。

地方から上京

北海道札幌市出身。沙流郡日高町育ち。 私は幼少期から少し活発が過ぎる様な子供だったと、母からよく聞かされます。口だけは達者で、クルマの車種や色んな機械の型式番号を暗記したり、回る洗濯機をずーっと眺めていたり、そのくらい好奇心だけは人一倍ある、少しズレた子供時代を過ごしました。プラモデルやミニ四駆など物を形にする事が好きな所はこの頃から既にあったのだと思います。
ですが運動の類は殆どダメで、特に球技が苦手。柔道の少年団に入った以外は運動系の習い事は叶わず、エレクトーンや絵を描いたり、本を読んだり、マンガやアニメ、ゲームが好きな少し内向的な趣味を持っているが、周囲の友達は活発な人間が多いと言う、両極端な少年時代を過ごしました。
そんな最中、ギターとロックミュージックに出会い一気にのめり込む。
中学に上がる頃には楽譜が読める体格の良い男子という事で、吹奏楽部に入部しチューバ(1番大きなラッパ)を担当していました。
その後中学卒業後はちゃんとした進学はせず、大好きな"ものづくり”"何かを形にする”そんな仕事がしたい!と漠然と考え、アルバイトなどをしながらバンド活動、芝居や演劇に参加させてもらいながら活動。
本格的に活動がしたいと、ギター1本と最低限の着替えを小さなキャリーバッグ1つに押し込み、それだけを持って拠点を札幌から東京へ、上京。
生計を立てる為にアルバイトをする最中、建設業界を知り、土工、揚重工、養生クリーニング工、雑工などを経験。
建設現場を色々経験すると、多種多様な職種の職人が働いている事に気付きます。
そんな中他職として見て、憧れを抱いた職人、それが鳶職人でした。

体育会系とは真逆の文化系な人間。それも運動が苦手。体力測定では、体格からか力はそれなりにありましたが、持久力などは平均以下。
とても私のような人間が鳶職人になれるなどとは思っていませんでした。

入社のきっかけはある日のこと。
他業者の人間として働いていた私は、神奈川県内の建設現場にて津村社長と出会いました。
年齢が近いこともあり、度々言葉を交わすようになったある日、鳶職人に興味があること、鳶職人に憧れがあること、今は他の夢と並行して追い掛けたい事などを話しました。
社長はそれを受け入れた上で、再度鳶職人の世界に誘って下さいました。
話をするにつれ、社長自身の鳶職人としての熱意、経営者としての野望なども聞き、感銘を受け、入社させて頂く運びとなりました。

鳶職人の世界

最初から全て出来る人など居ない。
最初から全て出来るならば、職人は要らない。
誰でも最初は初心者である。

私が鳶職人の世界へ飛び込んだ当時は、まだ厳しい世界でありました。
ですが、誰でも最初は初心者です。私も例外ではありません。右も左も分からない新人の時代は兎に角"運び”と言われる資材運搬から始まります。組み方は分からない、ならば先輩方が組み立てる物をどんどん現地へ運ぶ、それが最初の仕事です。運びながら、部材を見て、どれを何個使うか、どんな使い方をするか、見て覚えます。本当に分からなければ聞きます。毎日が勉強でした。幸いにも、同期入社の人間が居て、お互い気付いたこと、自分の夢や野望を語る事が出来て、本当に良い刺激になりました。並行して運びながら基礎的な体力も身に付けていくのです。私は元々体育会系では無いですが、それは体育会系であれ、文化系であれ、最初は誰しも"鳶職人の基礎体力”が並々ならぬものであるということを肌で感じると思います。力の使い方、身体の使い方などを徹底的に鍛錬します。
新人期間が終われば、その先は経験と勉強でした。難しいことはありません。いつでも全力でぶつかって、吸収して行くのです。
いくつもの現場を経験して行き、基礎的な知識、工法などを学んで、数年後には現場を任される職長へと、ステップアップして行きます。
私の場合は4年目のある日、仮囲いから始まり、最後まで1から10までの現場を持たせて頂きました。初めてぶつかる責任者としての壁、それを乗り越えてこそ次の成長がある、我武者羅に担当致しました。
1つの新築現場を纏め上げたという経験は、私に自信と誇りを与えてくれました。
ですが、そこで終わりではありません。
鳶職人の世界は、日々勉強、日々向上の世界です。工事の種類も新築、改修、プラントなど多岐にわたります。
材料や工法も日々増えて行きますし、法律なども数年で変わっていきます。

"お金は後からついてくる”と言う信条の私ですが、新人から見習いへ、見習いから職人へ、職人から職長へ、職長から親方へ、ステップアップする度に社長は見ていてくれます。
その都度、頂けるお給料は増えて行きますので、必ず後からついてきます。
北海道に居た頃から漠然と描いていた"ものづくりの仕事”が、形は違えど叶いました。
息子にも恵まれ、家族も出来ました。
ささやかな夢であったマイホームも手に入れました。

最後にこれを読んでいる皆さん。
"自分には向いていない”
"出来るか自信が無い”
そう思っていませんか?
でも、この文章を読んでいるという事は"興味がある”ということでは無いでしょうか?
私は今では1番の古株の社員となりましたが、この世界に飛び込んで良かったと思っています。
たくさんの仲間が支えてくれます。
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